映画不信

原作ファンであってもあの映画を好意的に受け止めているひとは多いようですね。私は原作付映画を見るときにはつい疑いの眼で見てしまいます。最初からそういう眼で見ていれば荒ばかり目に付くのは当然で、ケチをつけるために映画を見ていると言われても仕方ないのでしょう。
この根強い映画不信は中学生の頃に見た「ネバーエンディング・ストーリー」に遡ります。見た方はご存知でしょう、ラストで見せられたあの途方も無い裏切り*1。あれは「ものがたりのたましい」を素直に真剣に信じ込んでいた当時の私を粉々に打ち砕く、物語のレイプでした。
(以下は読み流してください。)

当時私はバスチアンでした。どんくさく、ちびで、身なりもみすぼらしく、卑屈で、いじめられっこで、本の虫で、押入れに閉じこもって物語を貪るのが何よりも楽しみという少年です。アトレイユの冒険に心躍らせ、おさなごころの君に思いを寄せ、望みをかなえ心を忘れる喜びと悲しみとおそろしさ、空想することの素晴らしさ、空想が空想であることの素晴らしさを実感し、「果てしない物語」は同時に「往きて還りし物語」であることを悟ったのはバスチアンだけでなく私でもあったのです。
だから普段映画など見ず、ファンタジーなど「逃避文学」と一顧だにしない父にせがんで「絶対に素晴らしいから」と連れて行ってもらった私は、帰りすがら泣き顔で父に「違う」ということを説明し続けました。良く考えれば酷かったのは映画であって私ではなかったにも関わらず、私は罪悪感で一杯でした。私はバスチアンだったのですから。
ファンタジーをつまらないもの・くだらないものと考える人々---単に軽んじるだけでなく、子どもだましの代物にファンタジーのレッテルを貼りつけて商売をする人々は、この時以来私にとって軽蔑する以上の存在*2です。このような輩が資本の大半を握っている限り、私は映画を信用しません。ええい、信じるもんかい。信じないんだからな!

*1:後にエンデがこのラストの削除を求めて裁判を起こしたと聞いたとき、ものすごく嬉しかった。彼が「金のために娘を女郎部屋に売り飛ばした」のでは無かったと知ったから。

*2:PJはボーダーライン上ですね。彼の熱意、愛情は疑っていません。ただ彼の作ったフィルムは、映像は美しくても内容は子供だましです。少なくとも私の指輪ではありません。