OPを見てのピュアすぎるかもしれない感想
なんとなく、何かが一つ終わった気分になってので書いておきますよ。
あれ見たのって大学入ってすぐだから90年代前半くらいなんですが、当時もそのクオリティには驚嘆した覚えがあります。
で、まあ。複雑です。心情的にも現象的にも。
オタクが世に向き合うという小さな記録*1がおとぎ話になり、遂にはオタクが世の中に取り込まれるというメタな物語(てゆーか怪物?)に変貌しちゃって、今どのへんですか? 最終章手前くらい?
ホントはね、電車男自身にも、それを取り巻く何かにも、DAICON的な…オタクであることのアイデンティティは元々希薄なんですよね。だから真性なオタクを任じる我々が電車男に向き合う必要なんてちっとも感じられなかったんですよ。2ch的な良い話で済ませちゃってたのに。
ただここに来てオタクという記号が(80年代にかつて起きた事件の時のように)世間の前に引きずりだされて、となればどうしたって向き会うしかないんだよなあ。好むと好まざると。
それでもスルーしちゃえばいいものを、なまじっかオタク側が「かまし」をいれちゃうもんだから…。その意気は買うけど、電車男にゃ勿体なくはないですか?
いわゆる最近の、「なんとなくでファジーで普通の」オタクが取り込まれちゃう分にはどうぞどうぞ、と笑って見てられたんですが。
単なるパロディを地上波でやっただけ、と割り切れないのはなんでかなあ。なんというか、ちっとも劇的でも快でも不快でもない代物に80年代を終焉させられてしまった感じです。地上波で。注目のドラマで。大きな舞台での、この20年のぽっかりとした完結。
こうしておいらも物語の一員となったのでした。どっとはらい。
あーあーあ。
これ考えた奴。すっげえ褒めてやりたいけどものすごく褒めてやりたくねえ…。
*1:ネタであれ真実であれ、相対した人々がいたのは事実ですから…