サッカーくじ
最近toto買ってます。
以前より買いやすくなったのと、スポーツ支援にお金を出す気持ちもこめて。
買い方はもっぱらランダム。レッズとジェフをデフォルトで勝ちにして、残りは乱数に任せます。
あからさまに強弱がある対戦組なんかはちゃんとマークした方が当然勝率が上がるのですが、特に思いいれもないチームの勝敗を予想してはずした時の後味の悪さが嫌いなので、どんな組み合わせでもマークはしません。
ギャンブルではなくあくまで一種の富くじとして楽しんでいます。
ただ、予想してはずすのが大嫌いな私ですが、まったく予想したくないというわけでもないんですよね。Jもそれなりに見ていますから、だいたいこんな感じかな、というイメージくらいはあるんですよ。それを具体的なお金という単位に乗せたくない。というか乗せられない。そのエネルギーがないんです。
「選ぶ」ってすごく神経使う行為ですから、そこらへんがtotoの敷居の高さになっているとこってあると思うんですよ。
現状のtotoってあくまで一通りの組み合わせを一口として選ばなきゃいけないシステムでしょ。ここをもちっと遊びのあるシステムにしてもらえると私みたいなライトユーザは喜ぶと思うんですけどねー。
今のダブルとかトリプルの応用なんですが、それっぽいところにどんどんマークつけて、そーすると何千円にもなっちゃうわけですが、そのうちランダムで10組とか20組とか買えるとかだとすごく楽しいと思うんですけどね。
#その程度のアプリ自分で作れよ、とか言われちゃいそうですが、私は「ランダム予想したい」んじゃなくてあくまで「ぬるく買いたい」ので、手元でランダム生成した組み合わせを作ってうんぬん、というのはなしなのです。念のため。
W-ZERO3予約敗北
もともと勝てるとは思ってもいませんでしたが。
24時間経過すれどもログインすらできず。
正月まで待つかな?
テレビ=クリエイティブ/ネット=金?
ライブドア騒動の時、テレビの人ってどうしてそんなにプライドが高いのか不思議だったんだけど。こんなのをさっき読んだ。
たしかに経済の論理で言えばテレビ局は金で買える。しかし、どんなに金を積んでも買えないものがあった。それはソフトである。ライブドアも楽天も、残念ながらそこがわかっていなかった。
ソフトっていうのは放送局にしかないものとでも思ってるのだろうか。
そこには、いくら札束を積まれようが動かない連中がたくさんいる。「俺は命をかけてこの番組をつくる」「この番組をおもしろくするためなら死んでもいい」という情熱のほうが金よりも大事だと思っている時代遅れのテレビマンたちがいる。テレビのソフトというのは、そういう人々がいてこそはじめてつくりだされるものだ。金とか株とか数字とか、そういうものだけでは動かせないのがテレビでありテレビ制作者なのである。
外からは見えないだけなんだね。
ITで儲けるよりも、ものづくりで儲けたほうがカッコいいということを示すのだ。
ITはものづくりじゃないのか…。
いや、ほりえもんやミキティがクリエータかどうかは私には判断つきかねるんだけど。
テレビ=商業主義、ネット=自由でクリエイティブという見方こそステロタイプだったのか。
彼方からみれば真逆だというのは新鮮な驚きかもしれない。
W-ZERO3
いよいよ今日予約開始だー
https://store.willcom-inc.com/ec/faces/lstlscp000328/
[WILLCOM] プラン
今の京ぽんはそのまま、ZERO3は音定+データ定額のつもりでいました。パンフ貰ってきたら…。
京 ZERO 4x 10万パケ
\2,900 + \2,200 + \1,000 = \6,100
音声定額 + パケコミ(4X 20万パケ) = マルチパック\4,900
すいません、マルチパックなんて眼中にありませんでした。
考えを改めます。データ系のコースだと通話料は割高だけど、京ぽん持ち歩くから
関係ないしね。価格だけだと、PDA+ビットワープにも引けを取りませんね。
20万パケだと少ない人もいるでしょうが、自宅と会社では無線LANあるから多分足りるか
と。普段京ぽんでは5万パケ越えないくらいだし。
SF大会で
SF大会行って来ました。
初めての大会はとても新鮮でした。
プロ作家の人たちとか、ネットの有名な人とかが普通にそこらへんを歩いてることに感動しました。
参加者の人たちも皆親切で優しく迎えてくれて、企画もたくさんあって見所が一杯で、とても楽しい一日でした。
とかなんとか書けたらいいのになあ。
参加十年目になっても、いまだに腰の据えどころが定まってない微妙な居心地の悪さが大会を素直に楽しむのを邪魔してるような気がする。
顔を合わせれば、ああ毎年お見かけしますね、とお互い会釈をしあうような人は沢山増えたけど、その実お互い名前も知らず、ろくにしゃべったこともないという有様。
スタッフなりなんなりすればちゃんとした知り合いも友人もできるのだろうけど。寡黙な一参加者というスタンスのままじゃ、いつまでもお客さまかな…。
明日はちゃんと声をかけよう。
今日のレポートはまた後日。
追記
おとなり日記の人がもっとうまく書いてくれてましたよ。
http://d.hatena.ne.jp/Giran_do/20050708
OPを見てのピュアすぎるかもしれない感想
なんとなく、何かが一つ終わった気分になってので書いておきますよ。
あれ見たのって大学入ってすぐだから90年代前半くらいなんですが、当時もそのクオリティには驚嘆した覚えがあります。
で、まあ。複雑です。心情的にも現象的にも。
オタクが世に向き合うという小さな記録*1がおとぎ話になり、遂にはオタクが世の中に取り込まれるというメタな物語(てゆーか怪物?)に変貌しちゃって、今どのへんですか? 最終章手前くらい?
ホントはね、電車男自身にも、それを取り巻く何かにも、DAICON的な…オタクであることのアイデンティティは元々希薄なんですよね。だから真性なオタクを任じる我々が電車男に向き合う必要なんてちっとも感じられなかったんですよ。2ch的な良い話で済ませちゃってたのに。
ただここに来てオタクという記号が(80年代にかつて起きた事件の時のように)世間の前に引きずりだされて、となればどうしたって向き会うしかないんだよなあ。好むと好まざると。
それでもスルーしちゃえばいいものを、なまじっかオタク側が「かまし」をいれちゃうもんだから…。その意気は買うけど、電車男にゃ勿体なくはないですか?
いわゆる最近の、「なんとなくでファジーで普通の」オタクが取り込まれちゃう分にはどうぞどうぞ、と笑って見てられたんですが。
単なるパロディを地上波でやっただけ、と割り切れないのはなんでかなあ。なんというか、ちっとも劇的でも快でも不快でもない代物に80年代を終焉させられてしまった感じです。地上波で。注目のドラマで。大きな舞台での、この20年のぽっかりとした完結。
こうしておいらも物語の一員となったのでした。どっとはらい。
あーあーあ。
これ考えた奴。すっげえ褒めてやりたいけどものすごく褒めてやりたくねえ…。
*1:ネタであれ真実であれ、相対した人々がいたのは事実ですから…